守永会長への質問 大和ジム50周年記念大会

Q・大和ジムが50周年を迎えたことについていかがでしょうか?
「ただ50年の節目に会長で有っただけで歴史には何ら感じる物は有りませんー」

Q・守永会長が大和ジムと出会うきっかけはいかがでしょうか?
「20歳の9月に入会したので 昭和59年だと思いますただ強くなりたくてボクシングと迷いましたが蹴りが有った方が良いと思い電話帳で大和ジムを知りました」

Q・それまでのスポーツ歴はいかがですか?
「高校生の時に少林寺拳法を経験していますが、小中学校は 野球部 水泳部 剣道部全て中途半端でした」

Q・入門する前のキックボクシングのイメージはいかがでしたか?
「入会の時は最低迷期だったと思います マイナースポーツで変わった人しかやってないイメージでした」

Q・入門してからのキックボクシングのイメージはどう変わったでしょうか
「スタミナ無きゃダメな競技だと分かりました 当時はとりあえずプロで数戦だけやってやめルつもりでした。」

Q・当時、大和ジムにはどんな選手がいましたか?
「現在名古屋JKファクトリーの小森次郎先輩がリーダーで ランカーの中西金吾さんがツートップでしたね」

Q・当時の練習方法はいかがでしたか?
「ミットよりサンドバッグ中心で首相撲はよくやらされました」

Q・現役時代はどんな選手に憧れていましたか?
「フェザー級チャンピオンの青山隆さんの動きがきれいだなと思ってました」

Q・現役時代の最高位を教えてください。
「4試合しかしてないのでノーランカーです。」

Q・守永会長のベストバウトは?
「40歳の時 18年ぶりにルンピニースタジアムでカノンスック選手(のちに愛弟子の大和哲也や大和侑也と対戦)とやった試合はよく頑張ったなと思いました」

Q・憧れていた先輩は誰でしたか?
「ジムの先輩は皆 地味な練習をひたむきにしてるので 尊敬してました」

Q・引退したのはいつですか?
「5戦目の1週間まえに蜂窩織炎で2度手術して 復帰に1年と言われ引退を決意しました」

Q・引退後、会長になった経緯はいかがでしょうか?
「ミット持ちを数年やって、33歳の時に前会長(門野会長)に、会長を継いでくれと言われ決めました。

Q・守永会長の指導者としての理念は?
「虚勢をはるなとはよく言います」

Q・理想とする指導者はいましたか?
「当時名古屋JKファクトリーが飛ぶ鳥落とす勢いだったので、小森次郎会長は目標でした。 追い付きたかったです。モチベーションになりました」

Q・93年からヒジなしのK-1が出てきた。戸惑いはありしたか?
「うちからK-1選手が出るとも思ってなかったので他人事でした。」

Q・キックボクサーを育成する楽しみと苦しみとは何でしょうか?
「目標が同じ人とは居ても楽しいです 育成とは思った事も無く感じた事 言いたい事を言ってるだけでした」

Q・大和ジムといえば、名字に「大和」がつく選手が定番。そうなったきっかけを教えて下さい。
「タイのジムの真似しただけです。」

Q・ローマ字YA M A T Oの違いも教えてください
「大和航を最後に年齢的にも第一線の指導は今後無理だと感じてけじめとして変えました」

Q・指導者として分岐点となった試合をいくつか教えてください。
「やはり大和哲也のK-1 63キロ優勝です。この指導で良いと自信がつきました。」

Q・指導者として一番楽しかったことは?
「選手が勝った試合はもちろんですが アフターで選手と食事して話す時がいつも楽しいです。」

Q・最もうれしかった教え子の試合は何?
「哲也の世界戦のサゲッダオもそうですが その前の野杁正明との試合は1番負けて欲しく無い試合でした」

Q・指導者として一番苦しかったことはなんでしょうか?
「苦しい事は無かったですが 試合前の選手の怪我や契約違反はイヤな思いをしますー」

Q・会長を引退しようと思ったきっかけはいかがでしょうか。
「選手のミット持つのが辛くなったらやめようと前から決めてました。経営者として携わるのは嫌でした」

Q・指導者として未練はないですか?
「今やめても 後数年頑張っても未練は残るので 無常に従います」

Q・今後、大和ジムは誰が注ぐことになりますか?
「選手でもある、匡志YAMAMOTOです」

Q・今後はどんな大和ジムになってほしいですか?
「任せましたので、匡志Y A M A T Oが決めれば良いと思っています」

Q・会長職を引退された後はいかがされますか?
「今まで走り続けた人生だったので自然を感じられるスローな人生を送ります 」